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悲しい3p初体験

ここでは、「悲しい3p初体験」 に関する記事を紹介しています。
私、42歳会社員 妻36歳、子供2人の平凡な家庭人ですが、ふとしたことから妻も捲込む大変な体験をしました。
 会社の帰りに寄る馴染のスナックバーがあります、鶴田真由似のママが一人で店を経営し常連客以外は滅多に顔を見せない小さなバーです。そんな店でも10年近く通うと会社からバーへそして自宅となり、妻も晩酌が省けるので喜んで認めています。
2年前の話です、何時ものように顔を出したところ、ママに元気がありません。
「お帰りなさい」の声も張りが無く悩み顔です。ビールを一本飲んでボトルへ行くのが私の癖なので、今日も出されたビールを飲みつつ「どうしたの、元気が無いね」と気になったことを言ってみた。常連客も来ていない二人だけの店なのにママは声を落として
「ここんところ、体調が思わしくなくてね、今日、先生に診てもらったの、そうしたらね、明日、再検査するから家族が付き添うように言われたの」
「そりゃあ心配だなぁ、で 誰か付き添う人居るのか」と聞いてみた。と言うことは、ママは大学生のころ、銀座で夜のアルバイトをしていたが大学は中退して女給さんとして働き、店で知り合った金持ちのドラ息子と好い仲になり、遊んだ挙句に結婚したそうだ。
ところが旦那は結婚後も身持ちが治まらず、義父母からは息子を悪くした嫁と見られ3年で離婚したそうだ。
実家の両親、兄弟とは夜の銀座で働くようになったころから絶縁状態になり今日に至っているとの話だ。
離婚後は銀座に戻らず慰謝料的な意味合いの入ったお金を渡され、それに自分の溜めたお金を資金に小さな住居付店舗を手に入れこのバーを開店したとのことだと常連客は皆さん知っている話だ。
「それでね、里香さんにお願いしょうかなって考えて居たの」
「えっ 家内にもう話したのか」ちなみに我が家の家内の名は里香と申します
「お医者さんから帰ってきて電話しようかなと思ったけど、貴方とお話しした後でお願いした方が良いかなと思って待っていたのよ」
「何だ、そんなことならさっさと電話すれば良いのに、ちょっと待て、家内に電話するからさ、直に説明して明日一緒に行けば」と言うことで、明日二人で再検査に行くことに決まりました。妻は私と連れ立って飲みに来るようになりすっかりママと親しくなり店とは関係の無い女同士の付き合いが始まり今では兄弟みたいに何でも相談する仲である。
今日も常連客と馬鹿話をしてママの明日のこともあり早々に引き揚げて帰った、妻も付き添いの必要な病気って何だろうと心配していた。
私も病気の名前は聞いていないのでそれ以上話が進まず風呂に入って寝た、妻とは3日に一度の割合で営みがありそれなりに満足している。
しいて上げれば刺激不足の感じではあるがプロポーションも悪くないので他男から見れば誘いたくなる女だと思う。後は、刺激剤に投稿記事を読んだり、無料動画で刺激を受けたりして特に他の女性に手を付けることも無く来た、今夜も無料動画で妻も興奮してHな夜を過ごした。
キッスから始まり乳首を刺激してプッシーを撫ぜた、子供が二人になったので妻が避妊リングの処置を受け、その後は安心して中出しだ、舌と掌の愛撫を6/9の型で行い妻を二回逝かせた。
後は隠茎を挿入して小さく、大きく腰を振り同時に達した、大きな声を上げた妻は息も荒くまだ喘いている。
一瞬、ママの事を思い出した、銀座の時代に贔屓にしていた先輩に連れられママの店に行った、以来、ママの魅力に魅かれたこともあるが安く飲めることと気楽なことが何よりも良い。
先輩はその後転勤して去り、代わりに店で知り合いもできた。
突然、妻から声が掛り吾に帰った「セックスの後なのに何考えているの」と言われ正直にママのことを話した。
妻は「そうね 私、知っていたのよ あなた最初からママの魅力に魅かれ機会があればと思っていたんじゃないの、ママも知っていて私に言ったわよ、貴方となら浮気したいって、でもね、お客さんって感が鋭いんですって、銀座時代もそうだったけど、それで失敗する人多いのよ、まして自分の店だから失敗は許されないし、ですって」営みの後の会話らしくないが二人ともママの病気が気になることは一緒だ。
今日は、仕事をしていても落ち着かない、午後になり妻から携帯でママの病状を知らせて来た、乳がんで一日も早い手術が望ましいとのことだった。ママと妻との相談で今週は店を開き、その間に来週以降は休店にするか閉店にするか決めるそうだ。
妻は「全面的にママの応援をするから貴方もその心算で、お願いね」と悲壮感を漂わせる発言をして携帯を切った。近親者に急病人が出た感じで落ち着かないので会社を早退して携帯で妻とママの居所を確かめバーに向かった、二階の住まいに二人は途方にくれた顔していました。
手術する病院は何処かと聞いたら大学付属病院に紹介状を書いてくれたこと、来週の月曜日に先方の先生が診察してくれることが判り次に入院費等経済的なことも聞いてみた。
当面は貯えもあるので心配はないとのこと、此れだけ聞けばさし当たって私の役目は済んだと思った。後の、細々したことは妻が相談に乗り支えれば問題は無いと思う。店の事は病院の担当医から病状を聞いてから決るしか方法はあるまい、今週、常連客にも伝え反応や、意見を聞いて判断することになるだろう。
妻と一緒に店では飲まず開店前に帰った、道々、妻からこんな話を聞いた。
「最初は乳がんと聞いて二人とも真っ青になり言葉を失ったけど、家に帰って来てお話しているうちに落ち着いてきて、オッパイを手術して無くしたら女として終わりかなってママが言うの、私も自分がそうなったら同じ思いだろうなって考え、そうねって同意しちゃったの、そうしたらね、ママが手術前に思い出になるように男性と温泉にでも行きたいなって言ったの」女性でなければ理解できない話に戸惑いつつ妻の話を聞いた、普通なら手術の不安、癌の転移の不安、やがて来るかもしれない死の恐怖、こんなことを想像し温泉へ行くなど浮かばないと思うが妻の態度は本気で温泉行を考えているようだ。
家事をしながら、食事をしながら考えていたのか、寝室に入ってから妻が大胆な提案をしてきた。ママが元気な今週の土日に一泊二日の旅行を三人でしないか、最初は私とママを行かせる考えだったが、ママが遠慮して断るだろうと考え三人でとなったらしい。私がこの話を了解すれば後は妻がママと相談して話を進めると妻は言っているが疑問がある。
ママの言う、男と温泉での思い出とは、つまるところ男女の関係になり満足な自分の体で愛し合い区切りを付けたいとの思いを述べたのではないか。女性である妻もそれを理解した上での三人旅なのか、妻に問い質したい気持ちを抑え黙って了解した。
翌日、会社の帰りにバーに寄った、常連客が4人いてママから話を聞いたのか沈鬱な顔で飲んでいる。ビールを一杯飲んだところでAさんからママが病気で当分休業とのことだが、休業も困るが病気も尚のこと心配だと言われた。事前に考えを纏めていたので、
「常連さん一同でママを支える会でも作り励ますしか呑兵衛には出来ないな」と言って皆さんの顔を見た、男の出来ることってそれくらいかなって顔だった。
ママからは、さりげなく「土曜日はよろしくね」つて言われた。
妻自身、全く経験は無いが投稿記事や、無料動画で観る男女が繰り広げる様々なセックスの態様は良く承知しているはずだし、二人の間で相談が纏ったらしい。
土曜日は子供たちを妻の実家に預け、私が運転して山間の温泉旅館に向かった、日本秘湯の会会員旅館とかで、一軒宿の混浴露天風呂が売りだとか妻とママが嬉しそうに語っている。ママの体調を気遣い観光巡りはせずに真っ直ぐ旅館に向かい早い時間に到着したが快く受け入れて頂き部屋で寛ぐことが出来ました。
お風呂に入ることになり一応エチケットとして女性二人で入るよう勧めたところ、すかさず妻から「混浴温泉に殿方が居なくちゃ様にならないわよ」って言われ、ママからも露天風呂での写真を撮ることをお願いされた。幸い早い到着だったので他のお客さんは無く私たち三人の混浴となった、妻もママも中年の魅力たっぷりの裸体を惜しげもなく晒しタオルは浴槽を囲む石の上に置きスッポポンで童心に返ったようにはしゃいでいる。
オッパイは二人ともCカップぐらいで叢は妻が逆▽で薄め、ママは縦長で濃め、色白のきめ細かな肌が露天風呂に射し込む光に輝いている。様々な角度からカメラのレンズを向け艶やかな肢体を摂る、自然に珍棒も勃起していたが構わず撮り続けたが最後の一枚は妻とママが互いに相手のオッパイを握り撫で擦っている姿を摂ったが泣き笑いの表情が美しい。カメラを脱衣場に置いて私もゆっくり混浴風呂を楽しむことにして手足を伸ばしたら珍棒の先が潜望鏡のように湯面に出た、此れがよほど可笑しいのか二人して笑いながら近づいて来て、妻が珍棒を握った、続いて妻に促されママが握って扱いた。
「ママ、どうぉ お気に召しましたか」妻の声に「有難う 嬉しい 言葉が無いわ」
ママが涙ぐんで妻に答えた。そして二人に手を取られ露天風呂の石に座らされて、交互に扱かれ吸われ最後にママの口の中に放出した。
私も二人にお礼のサービスをしなければと思い、露天風呂を囲む石の上に腰かけさせて二人のお○○こを愛撫してあげた、ママのお豆ちゃんは小さいが敏感でぺろっと舐めたら「ひっ」と体を震わせた包皮の上から優しく撫ぜると口を結んで上半身を揺らす。何かの本でお豆ちゃんの小さい人はGスポットが敏感で責めるには最適、と書いてあった。
試にGスポットを指で引っ掻いてみたら、ママは「うっうっうっうくぅー」びくびく震えて昇天した。露天風呂なので警戒して声は必至で抑え体が気持ち良さを表現している。
一方妻は、動画で観る卑猥な世界を目の前で眺め大興奮、ママを見ながら無意識にオナニーしている。ママが昇天したので妻に移り、慣れ親しんだお○○こを愛撫して、珍棒を挿入した。「あっあっあっあっはー パパ 逝く逝く」三擦り半で昇天 
他のお客さんが来る前に目的を達成して三人とも笑顔で部屋にご帰還となった。
夜は、山菜を中心にした食事も美味しかったし、ママの体調を気遣いつつ3Pセックスを体験した。二人の女性、一見同じに見えても感じる部位も違えば締め付けも違う、悶え善がる様も個性がある、三人三様に淫らで卑猥な夜を楽しみ十分満足した旅行になった。
月曜日はママに妻が付き添って病院で診察を受けた、結果はかなり悪い病状であった。ベットの都合で金曜日に入院、翌週の木曜日に手術が行われ、三週間後に退院となった。
その間に妻がママと相談して、身の回りの物や衣類等を我が家に運び家財道具類は処分して、住居と店は居抜きで不動産屋を通して売却を進めた。この処分作戦には常連さんの力が大いに発揮され、ママが如何に好かれていたか如実に表れた。
我が家の一室に下宿のような形式で同居し妻と仲良く療養を兼ねて暮らし始めた。体調の良い晩は三人一緒に布団を並べて3Pセックスで楽しみ歓びに咽び泣くママだったが、癌が転移して入退院を繰り返すようになった。担当医師から内緒で余命一年位と妻が聞きどうしたものか相談があった、事情は説明せずに両親との縁を復活するよう説得してみた。はじめは聞く耳無しの態度であったが、夫婦の話から何か感じ取ったのか自分からは連絡出来ないが別に方法があれば知らせても良いとの同意を得た。
さっそく常連客のAさんに事情を説明してご一緒にママの実家に出向き、ご両親と兄夫婦にお会いして、ママが離婚して店を開き立派に生活してきたこと、そして現在は病気であることを報告した。ママの気持ちを尊重して助力を願う様なことは一切言わず帰途についた。ご両親は目を赤くして聞いていたが兄嫁は何を今さらとの態度だった。伝えた後の事は先方次第とAさんとも前もって話していたのでママには両親に会って話したことは伏せていた、理由はママが精神的に動揺し病状の悪化を恐れたからだ。
5日ほどしてママの兄様が訪ねて来た、ママは大変驚いたがそれでも直ぐに私たちが実家に知らせたのか察したようで落ち着いて兄弟で3時間程話をしていた。やがて私たち夫婦が呼ばれ兄様から、引き続き現在治療受けている病院を利用したい、私たち夫婦と一緒に居たい、とのママの希望なので誠に申し訳ないが宜しくお願い出来ないかと頼まれた。
ママの世話の大半は妻が背負っているので私は妻の顔を見た、妻は当然と言う態度で
「結構ですわ、今、ママの環境を変えることは病気に一番悪いわよ」と言って二人に同意の言葉を贈った。その後、入退院を2度繰り返し8か月後にママはこの世を去った。
私と妻の悲しみ、落胆は大きく兄弟を亡くした気持ちで喪に服したような生活でしたが
徐々に回復し、いつしか3日に一度の営みが出来るようになった。
ある日、営みの後の、気怠く、淫愛気分に浸っているとき妻がぽつんと呟いた。
「あたしたちも、ママの病気が切掛けで動画を観るような3Pを経験して大興奮したけれど、今度、あたし、中心の若い学生さんを加えた3Pがしてみたいなぁ」まじかよ、
ほんとかよ、と聞き返したが妻は顔を私の胸に寄せて返事は無かった。 おわり 


コメント
この記事へのコメント
切ない話ですね…。
でも、ママさんも心残りなく逝かれたことでしょう。ご冥福をお祈りします。
2016/11/16(水) 21:25 | URL | タンタン #-[ 編集]
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